田中将大の学歴や経歴、出身校、なぜ北海道の高校進学について調べてみた

スポーツ

現在、読売巨人に所属している田中将大選手ですが、出場選手登録を抹消されたとの記事を見て、なぜ登録抹消されたのか、理由、田中将大選手の出身校や学歴、経歴などについて調べてみました。

田中将大のプロフィール

氏名:田中将大(たなかまさひろ)
生年月日:1988年11月1日(2025年現在37歳)
出身地:兵庫県伊丹市
身長:188cm
体重:97kg
職業:プロ野球選手
ポジション:投手
所属:読売ジャイアンツ

身長、体重といい、めぐまれた体格です。気になり握力とか調べてみましたがわかりませんでした。

私の周囲には、身長188cmはいますが、体重が120kgというちょっとぽっちゃり系の方なので比較したらダメですね。

学歴(出身校)

小学校:伊丹市立昆陽小学校
読み方(いたみしりつこようしょうがっこう)
中学校:伊丹市立松崎中学校
読み方(いたみしりつまつざきしょうがっこう)
高校:駒沢大学付属苫小牧高等学校
読み方(こまざわだいがくふぞくとまこまいしょうがっこう)

駒沢大学付属苫小牧高等学校は、北海道苫小牧市にあります。

私としては、なぜ、兵庫から北海道へが気になり次の見出しで深堀しましたので
是非ご覧ください。

なぜ北海道の高校へ

情報によりますと、中学校のチームでは1人で練習することが多かったそうです。

進学する高校は、野球ができる高校とチームで練習ができる環境が欲しいという理由で高校を選んでいたそうです。

引用:朝日新聞

田中選手が調べる中で、苫小牧高等学校が候補としてあがり、高校を訪問し、野球の練習風景を見学した際に、先輩たちの挨拶がしっかりしており、礼儀正しい、練習する施設や指導方針の話を聞いた際に自分にあっているそう感じたそうです。

中学校では、チームの練習にばらつきがあり、1人で練習することに抵抗があった、仲間と一緒に練習できる環境を求めていたそうです。

これは、チームで野球がしたいという気持ちのあらわれではないかと感じております。

他の高校も検討しましたが、最終的には練習環境や先輩の雰囲気、自身の野球への取り組み方などを考え、最終的に苫小牧の駒大苫小牧高校が自分に適していると判断したようです。

この時点で、中学生としては、めずらしく、自分の環境にあう高校で野球がしたいという力強い決断力があったのではと思います。

15歳で、ここまでの判断能力がある方は、当時いましたでしょうか。

あとにもさきにも田中選手だけではないかと思います。

引用:スポニチ

私は、プログラミングエンジニアとして仕事をしております。仲間には、もくもく1人で行う方もいらっしゃいますが、私はエンジニア仲間と助け合いながら学ぶことが好きです。

1人でするより、仲間と切磋琢磨しながら、行った方が得るものも多いですし、インターネットだけではわかならい生の声も聞けたりします。

田中選手と環境は違いますが、そういう意味でも田中選手の気持ちはわかる気がします。

経歴は

プロ入り前ですが、伊丹市立昆陽小学校1年生時に、軟式少年野球チーム、「昆陽里タイガース」で野球を始め、「4番・捕手」として現在の読売ジャイアンツ坂本勇人とバッテリーを組んでいた。

エピソードですが、打撃練習では、左翼方向へ本塁打を連発し、同じ方向にあった校舎の窓を直撃し、窓ガラスを割り、

あーまた田中かぁって」学校の先生から故意ではないしなぁ、

少年野球チーム昆陽里タイガース時代の田中将大(左)と坂本勇人 引用:スポニチ

あのバッティングセンスを潰すわけにいかないなってことで学校側へ被害が出ないように改修工事を行ったとか。

田中選手は、幼少期から巨人ファンで斎藤雅樹選手に憧れていたそうです。

この憧れがきっかけで投手になったのかもしれません。

小学校時代の最高成績は、6年生時の県大会で準優勝しております。

伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの宝塚ボーイズで硬式野球を始め、強肩を買われて投手も兼任するようになり、中学3年生時には関西南選抜チームに選出されております。

管理人
管理人

ボーイズリーグの正式名称は
中学硬式野球の団体の一つで
公益財団法人日本少年野球連盟です。
歴史は1970年、広島の元プロ野球選手
鶴岡一人の主導で大阪市で28チームの
少年野球団でスタートし
現在は、41支部721チーム全国大会を
中心にして各地で大会が開催されている
ようです。

2004年、駒沢大学付属苫小牧高等学校へ入学し、1年秋の明治神宮野球大会では、背番号2の正捕手。
準々決勝では、投手として出場しており、ここから投手への道が開きます。

この時も小学校時代の捕手というポジションです。

本当は、投手がしたかってのではと思いますが、そのような情報はありませんでした。

2005年高校2年生時、ついに投手として活躍する時がきました。

第87回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)では、チーム最多となる、25回2/3を投げチームも大会連覇を果たしました。

決勝で、優勝を決めた最後の1球は、史上初の150kmを計測し、プロスカウトの度肝を抜いたことはいうまでもありません。

その後、エース兼主将となり、フォーム改造を行い、打撃でも活躍する二刀流選手となります。

2005年、北海道苫小牧高校にとって悪夢が訪れる。第36回明治神宮野球大会で北海道勢として初の優勝を果たした、しかし、3年生の野球部員の窃盗事件があり、春の選抜では優勝候補だったが、事件をきっかけに、出場辞退となった。

推測ですが、学校側が野球に対する熱意が強く、野球部だけではなく、他の部活についても同様の不祥事が起きた場合は、部活動休止や全国舞台への出場は辞退するなどの強い不祥事対策を施したのではと思います。

その考えが各生徒や指導者へ強く伝わり、2006年甲子園に出場し、決勝へ進出し、体調を崩していた田中選手を決勝相手、早稲田実業学校高等部との試合で、3回途中からリリーフ登板し、延長15回まで投げ

引用:時事ドットコム

1対1の引き分けで、37年ぶりの決勝引き分け再試合となり、結果3対4で北海道苫小牧高校は早稲田実業学校高等学部に敗れた。

最後の打者は、田中投手であった。

本当に悔しかったのかなって感じます。ピッチャーとうポジションもあり、最初の決勝戦で1点とられなければという思いが強く、もうピッチャーはしないという言葉を発したとの情報もあります。

私は小学生の時に、野球をしており、ポジションはピッチャーでした。2アウト満塁、3対2でアウトカウント1つで勝利目前でしたが、プレッシャーと心の乱れがあり、2者ファーボールで3対4の逆転負けしピッチャーとしての自信をなくしました。

支えてくれたのがチームメイトです。おそらく田中選手も高校を選んだ時を思うと、チームメイトに助けられ、今のプロへの道へ歩んだのではないかと推測します。

まとめ

田中将大選手の学歴や出身校は、小学校:伊丹市立昆陽小学校から伊丹市立松崎中学校へ進学し、駒沢大学付属苫小牧高等学校へ進学後、ドラフト一位で楽天に入団。

経歴は、伊丹市立昆陽小学校1年生時に、軟式少年野球チーム、「昆陽里タイガース」所属。

伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの宝塚ボーイズで硬式野球を始め、強肩を買われて投手も兼任するようになり、中学3年生時には関西南選抜チームに選出。

駒沢大学付属苫小牧高等学校へ入学し、捕手から投手へ変更となり、途中野球部の不祥事により選抜を出場時代するも、高校3年生で全国の舞台へいくが、再試合で早稲田へ敗れ、その後楽天へ入団。

北海道の高校進学は、苫小牧高校に見学へ行き、チームでの練習ができることの楽しさ、先輩方の礼儀作法、練習する施設環境などが合致し、田中選手自らが選び北海道の高校へ進学している。

いまは、巨人軍から出場選手登録抹消となっておりますが、退団しておりませんのできっと必ずマウンドへ立ち、活躍するこでしょう。

これからも応援します。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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