横山温大(県岐阜商)の家族や甲子園での活躍や中学時代や大リーガーなどについて調べてみた

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甲子園でハンディキャップを抱えながら名門県岐阜商で活躍する選手が話題となっている。それは横山温大選手です。気になり甲子園での活躍や経歴、家族、経歴、同様のハンディキャプで大リーガーはいるのかなどについて調べてみましした。

横山温大選手のプロフィール

氏名:横山温大(ヨコヤマハルト)
高校:岐阜県立岐阜商業高等学校
部活:野球部
学年:高校3年生
ポジション:外野手
投打:右/左
出身:岐阜県各務原市
出身中学:緑陽中学

家族やについて

父は直樹さん、母は尚美さんです。年齢等あきらかにになっておりませんが、父親と母親そして兄、姉の5人家族です。

横山温大選手は、生まれた時から左手の指がなかったそうです。

引用:https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20220630_19731

父・直樹さん: 「生まれてすぐに医師から呼ばれて、実はこういう風(左手の指がない)で、と言われて。やっぱりショックというか…」
母・尚美さん: 「野球をやらせたいから男の子がもう1人ほしいと思って。
左手の指がないことを知って、真っ先に旦那に『野球できないね』と言った」 左手の指がないのは先天性で、原因は不明だ。
幼稚園の時には、『小学校に行ってもこのままなの?』『小学校に入ったら、みんなと一緒の手になるんだよね?』と、両親に聞いていたという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b8cd746277131e6bedcd6966e7b130f521d24835

兄と姉が野球をしており、憧れてバッティング練習に励んだそうです。

引用:https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20220630_19731

生まれた時に指がないというのは、ご両親としては野球はできないと思ったそうです。

私でもそう思います。普通のことはできないって思うのは当然です。

父親はバッティング練習に励み、人の倍以上練習しないとレギュラーは難しいなど精神的なところも鍛えたそうです。

母親は、野菜が苦手な横山選手のために、料理で応援を欠かさなかったそうです。

やはりご両親のサポートが甲子園の活躍をサポートしたのかもしれません。

中学時代について

中学生の時には、愛知県の「江南ボーイズ」に所属し、ピッチャーと外野手の二刀流をこなしていたそうです。

特徴的なのは、グローブを2つ用意していたということです。

なぜかというと、投手の時は右手で投げるため、左手グローブを使用。

外野手の時は左手でボールをつかめないため、右手でグローブを使い、右手でグローブをキャッチした後は、素早くグローブを外して左手でグローブを掴み、右手にボールを握り替え、右手でボールを投げることをしていたそうです。

これって超人技ですよね。

50m走7秒で走る選手がバッティングした場合、打った直後に外野まで到達する時間はボールの勢いでも違うと思いますが約2秒程度です。打った直後にはバッターは走ってます。

この時点で、バッターは5秒の猶予があります。ライトをポジションとする横山温大選手がボールを取り、グローブを外し、ボールを右手に握り替える時間とファーストまでに送球する時間によりアウトになるかどうかの時間です。

高校野球の場合で推測します。ライトからファーストまでの平均距離は90m、時間にして、1.5秒~2.5秒程度。
残された時間は、バッターが打った直後が5秒の猶予があるので5秒ー(マイナス)2秒とすればブロー部を持ち替えてボールを右手に渡す時間は、3秒です。

試してみました。まず、グローブが右手から外れない、そして、グローブを素早く外せても(5秒かかりました)ボールと持ち変えることができない。トータル7秒かかりました。

どんなトレーニングをしたらできるのか情報はありませんでした。

甲子園での活躍

これは、インターネットの情報でも大活躍という表現があります。

具体的には、1回戦日大山形戦では2安打1打点の活躍で勝利に貢献、

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引用:https://number.bunshun.jp/articles/-/866893

2回戦では、東海大熊本星翔に練習してきた犠打で活躍。

そして3回戦では、大分明豊で守備で右手へボールを持ち変えることをいかんなく発揮し、アウトまではならなかったが走者の次の塁を許さないプレーや、打撃では決勝打と言えるプレーにより見事勝利へl貢献しております。

引用:https://number.bunshun.jp/articles/-/866893

テレビ中継で解説を務める、元・石川星稜監督山下智茂さんは、一連の横山選手の動作を見て動きはスムーズで特別になにもしていない。普通の選手と同じ動きだと、プロの解説者にもハンディキャップがわからないほど自身のプレースタイルを自然なものにしていることに驚いております。

大リーガーについて

かつて、先天性右手欠損というハンディを抱えながら、大リーガーとなり、通算87勝を挙げた
ジム・アボットという左腕投手がいました。

アマチュア時代には1988年のソウル五輪に出場し、決勝で日本を相手に7安打3失点完投し、アメリカに金メダルをもたらしております。

そのアボットさんを取材した記者から「私はハンディを克服したと特別視されるのではなく、単に「グッド・ピッチャー」と呼ばれたいと言ったそうです。

引用:https://the-ans.jp/news/5237/

ユーモアあふれてますね。自身はハンディではなく、普通にすごいピッチャーだよって言いたかったのでしょうね。

横山さん選手も「ハンディとか関係なく、周囲が普通に接してくれるのがうれしい」と語ってますので同じ境遇を感じます。

ハンディの世界は少しわかりませんが、いまお伝えできることは、ハンディを隠すのではなくアピールして普通の人と変わらず、人生遅れるんですって伝えたいのかもしれません。

まとめ

横山温大さんの家族は、兄、姉の5人家族で、生まれた時に原因不明で左手の指がなかった。

父や母のサポートのおかげで、野球を続けることができた。

甲子園では、1回戦日大山形戦では2安打1打点の活躍で勝利に貢献、

2回戦では、東海大熊本星翔に練習してきた犠打で活躍。

そして3回戦では、大分明豊で守備で右手へボールを持ち変えることをいかんなく発揮し、アウトまではならなかったが走者の次の塁を許さないプレーや、打撃では決勝打と言えるプレーにより見事勝利へl貢献しております。

中学時代は、中学生の時には、愛知県の「江南ボーイズ」に所属し、ピッチャーと外野手の二刀流で、特徴的なのは、グローブを2つ用意していた。

大リーガーでは、先天性右手欠損というハンディを抱えながら、大リーガーとなり、通算87勝を挙げた
ジム・アボットという左腕投手
がいて、横山選手と似ている。

立岐阜商業の横山選手、甲子園優勝もあるかもしれません。

そんな横山選手を是非応援し、今後も活躍を期待しましょう。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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