島倉千代子さん、「人生いろいろ」という楽曲で有名ですね。享年75歳
平成25年11月8日肝臓がんのため、亡くなっております。原因は、C型肝炎ではと言われております。
そんな島倉千代子さんの人生は波乱万丈だったみたいです。
どんな人生だったのか調べてみました。
島倉千代子さんとは
氏名:島倉千代子(しまくらちよこ)
職業:歌手
ジャンル:演歌・歌謡曲歌手
出身地:東京都品川区北品川
ヒット曲:人生いろいろ
結婚歴:有(2回)いずれも離婚
島倉千代子さんの波乱万丈秘話
波乱万丈の人生についてまとめてみました。
結婚について
25歳で結婚し、4年後に離婚。旦那様の名前は公表されておりません。
次に、63歳でプロ野球選手だった藤本勝巳さんと結婚しましたが5年後に離婚しています。
藤本勝巳さんとの離婚の理由は
本当の理由は、わかりませんでした。
推測としてあったのは、姑からのイジメで愛が冷めて、藤本さんがプロ野球を辞めてからクラブの開店資金借入銀行の頭取からお金を貸すので藤本さんと離婚してくださいとの噂もあります。
どうやら、熱狂的な島倉さんおファンだったようです。
その後、藤本さんからもう少しお金を貸してくれとの要求を受け入れたそうです。
どうしても離婚したかったのでしょうね。
全ては憶測です。
プロ野球選手って夢のある仕事ですから、そんなにお金が必要だったのか?第二の人生をもう少し堅実に過ごせばよかったのではと勝手に思います。
多額の借金
ある男を信じて手形の保証人となり、膨大な借金を背負うことになり、
約16億円とも言われています。
そして事務所スタッフに資産を奪われ再び多額の借金。
2013年12月には「島倉千代子最期の223日~」という特集番組が
組まれるほどのです。
私の私見ですがこの借金の額は腰が抜けるどころか全く想像がつきません。
某海外の日本人選手の通訳もすごいですけど。
実姉自殺の影響
東京都目黒区、世田谷区、品川を流れている目黒川の河口付近で
姉の敏子さん(当時60歳)の遺体が見つかりました。
投身自殺と言われております。
その川は高浜運河とも呼ばれており、島倉さん姉妹が育った品川にそって
流れていることからもしかしたら、死に場所を選んだのかもしれません。推測です。
姉敏子さんは、軽いポリオ(小児マヒ)により足が不自由だったというこも憶測されております。
ポリオとは、ポリオウイルスというものに感染して発症する感染症と言われております。まれに、手足のまひを引き起こす可能性もあり、重症化すると運動障害が残る可能性があります。
現在は、軽い感染症のようで、ほとんどの確立で回復するそうです。
さて、足に後遺症を持っている敏子さんが投身自殺少し謎のような気がしますが
公表等されておりませんでした。
肝心な島倉千代子さんの活動への影響ですが、事務所を設立するなど自身の
活動に大きくプラスの影響を与えたようです。
私が推測する自殺の原因は、軽いうつ病があったのではと思います。
歌手になりたかった敏子さんですが歌手の道をあきらめて、その思いを
島倉千代子さんが引き継いだそうです。
歌手の思いが強く、足が悪い自身になにができるのかそんな思いもあったのかも
しれません。
歌手活動
島倉千代子さんの歌手活動についてですが、やはり人生いろいろですね。
亡くなった今も、日本コロムビアに所属しいるようです。
1954年 「この世の花」デビュー200万枚達成
「からたちの日記」130万枚達成をはじめ
1955年~1957年間でなんと103曲の新曲を発表しております。
その中でも昭和32年 東京ダョおっ母さん 150万枚達成
知らなかったですが、1957年当時19歳、当時のサラリーマンの月給は1万円
島倉千代子さんのお財布には19歳で2,000円入ってたそうです。
それから人生いろいろですね。
今でもよく耳にします。歌詞には「男もいろいろ」
「女だっていろいろ」とあります。
まさしく、島倉さんお人生を表現しているような気がします。
島倉千代子さんの事故
当時7際、長野県松本市の疎開先で水を運ぶ途中に転倒し、腕を切断するところ
までいき、47針と輸血を行い腕が時期に動くようになる。
この時の輸血がC型肝炎の遠因となったのではと記載されております。
1961年ファンが投げた紙テープが両目にあたって失明の危機に陥りましたが
急所がずれていたようで、回復しております。
1962年後援会事務所に爆発物が送り付けられ、負傷者がでました。
草加次郎事件とも呼ばれております。
当時は、学生運動も盛んな時期です。
まとめ
いかがだったでしょうか。
当時は、花々しいデビューを飾り一気にトップ歌手へ上りつめた島倉千代子さん。
その後結婚に離婚そして公表されいませんが恋愛関連の悩みに姉の自殺?
多額の借金と本当に凄まじい人生を歩んでます。
それを大きく表現しているの人柄の良さだそうです。誰からも愛されているのは
今も同じですね。
東京の青物横丁駅では人生いろいろがながれているそうです。
現在もそうかは定かではありませんが。
そんな島倉千代子さんの人生を見つめながらそしてありがとうございますという
気持ちを添えてあらためてご冥福をお祈りし、私自身も負けるなって気持ちで
元気をもらいました。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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