キャプテン翼の主人公大空翼選手になんと双子のお子様が生まれ、業界も盛り上がるでは。高橋陽一先生のエピソードやキャプテン翼の誕生のきっかけと作品への思いにつついて調べ見ました。
はじめに
1981年に週刊少年ジャンプで連載開始された『キャプテン翼』は、2024年4月、『キャプテン翼マガジン vol.20』をもって漫画としての連載に一度幕を下ろしました。
約43年という長期にわたり、多くのサッカー少年たちに夢を与え続けたこの作品。しかしそれは終わりではなく、新たな形式で次世代へと物語は受け継がれていくのです。

確か記憶ですが、埼玉県に移住してボールを蹴ったら数百メートル先まで飛んで行ったのが印象的で、そこから大空翼さんのサッカー人生が始まることになるんですね。
📖大空翼プロフィール:キャプテン翼の象
- 名前:大空 翼(おおぞら つばさ)
- 生年月日:1967年7月28日(連載初期設定)
- 出身地:静岡県南葛市(架空)
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)/FW(フォワード)
- 利き足:右
- 主な所属チーム:
- 南葛小 → 南葛中 → 南葛高校
- サンパウロFC(ブラジル)
- FCバルセロナ(スペイン、作品中では「FCカタルーニャ」)
- 日本代表(ユース/A代表)
彼が残した影響
大空翼は「ボールは友だち」という名言をはじめ、プレーも言葉も一貫してサッカーへの愛情を体現してきました。
翼のプレーは現実離れしているにもかかわらず、現実世界の選手にまで影響を与えました。
実際にメッシ、ネイマール、イニエスタ、本田圭佑、香川真司など、世界中の名選手が『キャプテン翼』を読んで育ったことを公言しています。

あれっ、高橋陽一先生と2ショット
事務所訪問でしょうかね。
高橋陽一先生人柄のよさ表れてます。
イニエスタ選手オーラあるなぁー。
そういえば、南葛SCってチームは、
クラブオーナーが高橋陽一先生です。
イニエスタ来たら面白い(笑)
高橋陽一先生エピソード:誕生のきっかけと作品への思い
高橋陽一先生は東京都葛飾区出身。サッカー少年というわけではなかったものの、1978年のアルゼンチンW杯をテレビで見て感動し、「サッカー漫画を描いてみよう」と思ったのがきっかけです。
当時のジャンプ編集部は「サッカーは漫画として難しい」として反応は薄かったそうですが、それを押し切って描き上げた読み切り版が話題を呼び、連載が決定。そして日本中の子どもたちにサッカー人気を広める結果となりました。
先生はインタビューでこう語っています。
「キャプテン翼を描いたことで、多くの人がサッカーを始めてくれた。それが一番うれしい」
「自分が描くことで、日本がW杯に出場する未来が見たかった」
そして2024年、体力の限界と共に筆を置きつつも、「物語だけは最後まで届けたい」と、ネーム形式でのWeb連載へと踏み切ったのかなと感じております。
世代へバトンをつなぐ「ネーム連載」
現在、公式Webサイト『キャプテン翼WORLD』にて、毎週火曜、ネーム(鉛筆画)形式の『ライジングサン FINAL』を連載中です。
これは“漫画”ではなく“設計図”とも言える形。高橋先生が考える最終回――大空翼がワールドカップで世界一になる未来――を、しっかりと形に残すための挑戦です。
今後の可能性
- 将来的に、若手漫画家による“清書版”の制作も期待されています。
- アニメ新作、映画化、ゲーム化などの展開も十分にあり得ます。
- 読者や世界中のファンとともに、“翼の夢の続きを追いかける時代”が始まっています。
まとめ
キャプテン翼の主人公、大空翼さんと高橋陽一先生について記事にしました。
高橋先生のインタビューでもあるとおり、
「キャプテン翼を描いたことで、多くの人がサッカーを始めてくれた。それが一番うれしい」
「自分が描くことで、日本がW杯に出場する未来が見たかった」
この言葉に全てが詰め込まれているような気がします。
まさに、これって現実になってますね。
そして、新たに南葛SCの話題を提供しました。
いつの時代でもサッカーは愛される。そんなキャプテン翼、高橋先生をこれからも応援しましょう。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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